今日は1日雪の降る乗鞍です。昨日仙台から無事に戻って来ました。今日はそのリポートです。
昨日から高速道路の通行規制が解除されましたが、出発した20日は磐越道〜東北道に規制がかかっていた為にまずは松本警察署で緊急車両のステッカーをゲット。
上信越道を北に向かい一路新潟へ。新潟駅にてアメリカの災害支援団体サマリタンズ・パース(Samaritan’s Purse =「良きサマリア人」の財布:新約聖書にあるイェス・キリストの例え話で、敵対するイスラエル人の旅人を助け、介抱したサマリア人のように困っている人には必要な助けを与えなさいという話し)のチームをピックアップ。物資の配布スタッフと記録撮影スタッフの合計7名。
2日目はまず仙台空港へ。散々な状況です。
ターミナル付近もこんな状況で、2mは浸水し、助かった方はターミナルの屋根等の高い所に避難したそうです。
地元の土建屋さん、自衛隊、米軍の協力で震災から5日後には滑走路が使えるようになりました。そのためサマリタンズ・パースの救援物資93トンが運び込めるようになりました。
その物資が仙台市内の倉庫に運び込まれ、各地に配布されます。
早速撮影スタッフはその記録。牧師でもある民主党の国会議員、土肥隆一氏が物資搬入の視察と名取市内を視察。その映像はこちら(英語)から。
仙台市外から30分程南に行った名取市内の状況は凄まじいものでした。高速道路は通行出来るようにはなっていますが、海岸から高速までの3km程は全て津波に流されてしまい、跡形もありません。
船も港から流されています。基本的に今回の津波被害は海岸から3km程の範囲は全て跡形も無く流され、3〜5km程の範囲は建物は残っているものの1階部分は浸水して使い物にならない状況です。おそらく青森から茨城まで500km程度の海岸がこのような状況です。
こちらがサマリタンズ・パースのハイジーンキット(日用生活品)。洗剤、トイレットペーパー、歯ブラシ、女性用生理用品等がセットになっています。この他にもブランケットやブルーシートといったどんな災害でも必要とされるであろうものが送られて来ています。
3日目は石巻市の石巻山城町教会に同じくキリスト教系の災害支援団体、CRASH Japanのメンバーとともにハイジーンキット、ブランケット、食料等を届けに行って来ました。その様子の映像がこちら。
そしてその教会からおよそ10分程の所にある石巻栄光教会と幼稚園。牧師でもある園長先生が物資の供給を喜んでくれました。翌日も更に物資を積んで伺いましたが、既にほとんどのものが近隣の方々に届けられていました。
こちらは石巻市街の様子。奥に見えるトラックの所まで道が続いていました。
こちらは同じく石巻市内の別の地区。この地区は避難所に1200人の方が避難していて、既に自宅に戻っている方も含めると配給には3000人分の食料が必要になるそうです。
たった5日間ですが、もちろん色んな方に話を伺うことができました。九死に一生を遂げた方。津波から助かったのに寒さで亡くなっていく方を看取らなければいけなかった方等書ききれない程のお話を伺いました。ただとても印象的だったのは物資を届けると、「ここはまだマシな方で、あっちの地区はもっと大変だ」とおっしゃる方が多かったことです。みんな自分で手一杯でも他の方を思いやり、助け合わなければやっていけないという気持ちが伝わって来ます。
長くなりましたが、今日のブログはレポートとさせてもらいます。明日はもう少しまとめた形で必要な物資や、報道されていない現実等をまとめさせてもらいます。で、帰りに柏崎原発の近くを通りました。微妙な気持ちになりますねぇ。